大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成2年(て)37号 決定 1990年4月20日

主文

本件は、逃亡犯罪人を引き渡すことができる場合に該当する。

理由

A(以下、単に本人ということがある。)は、一九八九年一二月一六日午前一〇時三五分(北京時間)中国北京発上海経由アメリカ合衆国ニューヨーク行きの中国国際航空公司CA九八一便二四四八号機(乗客及び乗員合計二二三名、実際の離陸時間は同日午前一〇時五一分ころ)に乗客として搭乗していたものであるが、同機離陸の約二〇分後、飛行中の同機機内において、同機機長Dらに対し、「南朝鮮に着陸させろ。三分以内に答えがなければ航空機を爆破する。」と記載した紙幣を示した上、「おれは南朝鮮に行きたいんだ。おれは六両のTNT爆薬を持っている。」、「一〇〇回も実験した。二両だけでレールを爆破できる。死ぬ覚悟だ。」、「おれを騙すな。騙したら航空機を爆破する。」などと申し向け、着衣の左胸に右手を差し入れてあたかも起爆紐を引きかねないように装い、その要求に応じないときは同機を爆破して破壊する気勢を示して脅迫し、同機長らをその旨畏怖させて抵抗不能の状態に陥れ、同機長らをして航空機と乗客全員の安全を守るため韓国へ向かうことを余儀なくさせたものの、韓国国内の空港が着陸に同意しなかったため、同機を燃料不足により墜落しかねない危険な状態に陥れ、同日午後二時五二分(日本時間)ころ、日本国福岡市内の福岡空港に同機を着陸させるのやむなきに至らしめ、その間、ほしいままに、同機の運行を支配したとの罪を犯し、同年一二月二三日北京市公安局から逮捕状が発せられている者である。そして、本人は、日本国内に逃亡した逃亡犯罪人であるとして、中華人民共和国(以下、単に中国ということがある。)から日本国に対し、仮拘禁の請求があり、逃亡犯罪人引渡法(以下、単に法ということがある。)第二五条第一項による仮拘禁許可状により平成元年一二月三一日仮拘禁され、現に東京拘置所に拘束されている者であるところ、同二年二月二二日、中華人民共和国から日本国に対し、同人に対する引渡しの請求があり、同月二三日東京高等検察庁検察官から当裁判所に対し、法第八条により、右逃亡犯罪人引渡しについての審査の請求がされた。

第一  以下にその検討をするが、引渡しの可否をめぐる個別的論点の検討に先立ち、まず、本件審査請求に対し、裁判所が法に基づいて行う判断の性質について一言しておくこととする。それは、端的に言えば、法上、逃亡犯罪人引渡しの審査請求に対して裁判所がする判断は、逃亡犯罪人を請求国へ引き渡すのが相当か否かの点に関するものではなく、法上引き渡してはならない旨定められている制限規定に該当するか否かの点に関するものであるということについてである。

すなわち、逃亡犯罪人を引き渡すのが相当か否かの審査・決定は、法上、法務大臣がその権限と責任において行うべきものと定められている(法第四条、第一四条)。それは、逃亡犯罪人の引渡しが、通常、請求国に対する外交的配慮、国内の法秩序維持上の必要、当該逃亡犯罪人の人権保護その他の行政的判断を総合考慮してなされるものであり、本来行政機関がその責任において最終的、総合的判断を行うべき事務であるという事柄の性質上、当然のことと考えられる。ただ、法は、引き渡すのが相当であるか否かを行政機関の裁量的判断のみに委ねず、引渡しを相当とするためには、あらかじめ法律で一定類型の制限規定を定め、個別の事案がそれに触れていないかどうかについてさきに司法機関の判断を経由することとしているのである(法第八条、第九条、第一〇条)。問題がすぐれて人権に関する法律的判断であることに着目しての手続規定である。したがって、この場合、司法機関の判断は、審査対象となっている個別の事案が、引渡しを制限する規定に触れていないかどうか、具体的には法第二条各号が挙示する引渡し制限規定のいずれかに該当しないかどうかの点に関してなされるにとどまり、法が定める右の制限規定に触れていない場合に、総合的な見地から見て引き渡すのが最終的に相当であるか否かの判断には及ばないのである。すなわち、司法機関が、個別事案につき審査した結果、これを引渡しえないものとしてあらかじめ法定されている類型にあたると判断した場合には、その判断に行政機関も拘束されるから、いかに行政機関が外交的配慮や国内の法秩序維持上の必要、その他の行政的判断を総合考慮して引き渡すのを相当であると考えたとしても、引き渡すことはできないこととなる。しかし、逆に、司法機関が、引渡しの制限規定にあたらないと判断した場合には、これによって引き渡すことに国内法上の制約はないことが明らかとなり、以後行政機関としては、引き渡すかあるいは引き渡さないかをその裁量に委ねられた状態となるので、関係の行政機関、具体的には法務大臣がその当否に関する最終的判断をすることとなる。逃亡犯罪人を引き渡すのが相当であるか否かの点は、わが国の関係法上は、以上に述べた意味において、行政機関がその立場から最終判断をすべきこととされているのである。そこで、当裁判所としては、逃亡犯罪人の引渡しに関する司法機関と行政機関の役割分担が、法上、右のとおり定められていることを前提とし、これによって定まる権限と責任の範囲に応じて、本件は、法が引渡しを制限している類型のいずれかにあたるか否かを審査することとする。

第二  そこで、関係書類を調査し、当裁判所の審問及び取調べ結果を合わせて検討する。まず、中国から引渡しを求められている逃亡犯罪人A(別名B(C))は、現在東京拘置所に拘禁され、かつ、当裁判所の審問期日に出頭したAと同一人物と認められ、かつ、本件引渡請求は、法の定める手続に合致していると認められる。法第四条によれば、法務大臣が東京高等検察庁検事長に対し審査請求をなすべき旨を命じることができるのは、同条第一項各号に該当する例外的事由がない場合に限られるとされているが、本件は、政治犯罪を理由として「明らかに引き渡すことができない場合」に該当するとはいえないし、また、中国法の適用罰則に後記の類推定罪が含まれていることを理由として「引き渡すことが相当でない」場合に該当するともいえず、要するに審査請求をするまでもなく引き渡すことができないことが明らかであるとはいえないから(その点は、後述するとおりである。)、法務大臣が東京高等検察庁検事長に対し審査請求をなすべき旨を命じたこと自体に手続上の違法があるということはできない。

一  本件行為と双方可罰性

Aが、先述の引渡犯罪を犯したこと、すなわち、一九八九年一二月一六日、飛行中の北京発上海経由アメリカ合衆国ニューヨーク行きの中国国際航空公司CA九八一便の機内で、同機を爆破して破壊する気勢を示して機長らを脅迫・畏怖させ、やむなく同機を当初韓国へ向かわせ、同国で着陸の同意を得られなかった後は、同機を燃料不足により墜落しかねない危険な状態に陥れ、福岡空港に着陸させるまでの間、同機の運行を支配したとの本件事実(以下、単に本件ハイジャック行為ということがある。なお、ヘーグ条約第一条にいう航空機の不法奪取又は管理、わが国の航空機の強取等の処罰に関する法律第一条にいう航空機の強取又は運行支配を含めて、一般的にハイジャックということもある。)は、同機の機長D、同乗務員E、同F、同乗客G、同H、Aの妻Iらの北京市公安局担当官に対する各証人供述調書(いずれも謄本であるが、以下、関係書類についてその点の表示をとくにしない。)、Aの福岡県警察本部司法警察員に対する供述調書その他の関係書類によって明らかであり、その事実についてはとくに争いもない。なお、右事実のうち、同機が、同日午後二時一三分壱岐上空に到着して旋回待機後、同三一分残存燃料があと四五分分しかないとの理由で早期着陸を求め、同三五分受け入れ許可となったこと、同機の航行燃料が、福岡空港着陸時に約七トンしか残っておらず(消耗量は一時間約一二トンとされている。)、同機の油量最低限を超えていたため着陸先を他の空港に変えることができなかったこと等については、関係書類中、前記機長Dの北京市公安局担当官に対する供述調書(一九八九年一二月一八日付け)や同空港の先任管制官菅原久和の司法警察員に対する供述調書等によって明らかである。

ところで、法第二条第三号、第四号によれば、逃亡犯罪人を請求国に引き渡すためには、引渡犯罪が請求国の法令により死刑又は無期若しくは長期三年以上の拘禁刑にあたり、かつ引渡犯罪にかかる行為がわが国において行われたとした場合において、わが国の法令により死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮に処すべき罪にあたることが必要とされている。そこで、本件ハイジャック行為に対する両国の処罰規定を見ると、まずわが国において、右の行為は、航空機の強取等の処罰に関する法律第一条の罪にあたり、無期又は七年以上の懲役刑によって処罰されることはいうまでもない。他方、中国の処罰規定は、わが国の処罰規定ほど簡明ではないが、同国の刑法典及び関係法令に関する同国外交部条約法律司副司長許光建作成名義の「法律鑑定書」、法務省局付検事三浦守作成名義の報告書その他の関係書類等によれば、同国では、右の行為は、「航空機の不法な奪取の防止に関する条約」(ヘーグ条約)第一条(a)及び中国刑法第一〇条に該当する犯罪行為であり、同国刑法第七九条により、第一〇七条に照らして航空機不法奪取罪として犯罪を確定し、同条に規定されている刑である「三年以上一〇年以下の有期懲役」の範囲内で処罰される定めとなっていることが認められる。この点をもう少し詳説すると、<1>中国はヘーグ条約に加盟し、同条約第一条は「飛行中の航空機内における次の行為は、犯罪とする。(a)暴力、暴力による脅迫その他の威嚇手段を用いて当該航空機を不法に奪取し又は管理する行為(未遂を含む。)……」と規定しているところ、同国の法律制度によれば、右条約の規定は同国では国内法的効力を持ち、したがって右条約が規定している犯罪は、国内法が規定している犯罪と同じと認められている。<2>中国刑法第一〇条は、「国家の主権と領土保全に危害を及ぼし、社会主義革命と社会主義建設を破壊し、社会秩序を破壊し、全人民所有の財産又は勤労大衆の集団的所有の財産を侵害し、公民の私的所有の合法的財産を侵害し、公民の人身の権利、民主的権利その他の権利を侵害し、更にその他社会に危害を及ぼす行為で、法律に基づいて刑罰による制裁を受けなければならないものは、すべて犯罪である。」と規定しているが、ハイジャック行為は、民航機の航行の安全を直接に脅かし、乗客の生命と機内の財産を直接に脅かし、社会の公共安全に危害を与える行為であるから、同国国内法においても当然犯罪として処罰されるべきことが刑法の大前提とされている。<3>処罰する場合の具体的罰条と刑罰は、ハイジャック行為が反革命目的でなされた場合は、同国刑法第一〇〇条(同条は、「反革命を目的として、次の破壊活動のうちの一つを行った者は、無期懲役又は一〇年以上の有期懲役に処する。情状の比較的軽い者は、三年以上一〇年以下の有期懲役に処する。」としたうえ、「(3)船舶、軍艦、飛行機、汽車、電車及び自動車を乗っ取った者」と規定している。)になるが、それ以外のハイジャック行為については、刑法の各則に明文規定はない。しかし、そのような場合に備えて、同国刑法第七九条は、「本法の各論に明文の規定がない犯罪については、本法各論の最も類似した条文に照らして罪を認定し、刑を言い渡すことができる。」と規定しているので、この規定に基づいて犯罪と刑罰を確定し処罰することとなる。航空機の墜落等の重大な結果を生じていない場合について最も類似する規定は刑法第一〇七条であると考えられている。すなわち、同条は、「汽車、自動車、電車、船舶、航空機を破壊し、汽車、自動車、電車、船舶、航空機に転覆と損壊の危険を与えるほど破壊を加えるも、いまだ重大なる結果をもたらすにいたらざる者に対し、三年以上一〇年以下の有期懲役に処する。」と定めているところ、航空機が物理的に破壊されていない場合であっても、ヘーグ条約第一条が規定するような犯罪行為、すなわち、飛行中の航空機内における暴力、暴力による脅迫その他の威嚇手段を用いて航空機を不法に奪取し又は管理するハイジャック行為は、航空機を物理的に破壊する行為と同程度の危険、すなわち、「公共の安全に対する危険」を生じさせるから、そのように考えられるとされている(なお、ハイジャック行為により重大な結果を生じた場合は、刑法第一一〇条一項の、「交通手段、交通設備、電力、ガス設備又は燃えやすく爆発しやすい設備を破壊して重大な結果をもたらした者は、一〇年以上の有期懲役若しくは無期懲役又は死刑に処する。」という規定が最も類似した条文であるとされている。)。本件は、中国の捜査結果によれば、本人が反革命目的を有していたものとは認められず、犯行態様や結果から判断して、第一〇七条が最も類似すると認められる。ほぼ以上に述べたような理由で、本件は、中国においても、長期三年以上の拘禁刑にあたる犯罪とされているというのである。そうすると、本件は、以下に述べる諸点のほか、他に特別の理由がない限り、法第二条第三号及び第四号が規定する双罰性の要件を具備していると認めるのが相当である。

もっとも、中国側のこのような法解釈に対しては、本件補佐人らの意見書中にもあるとおり、例えば航空機を破壊していないのに、それを「航空機に転覆と損壊の危険を与えるほど破壊を加える」のと同じであると解釈するのは無理であるとか、そもそも右のように刑法の各則に明文規定がない場合に、刑法各則中の最も類似した条文に照らして罪を確定し、処罰するなどということは、近代刑法の基本原則である罪刑法定主義に反し許されないとか、その他多くの批判があり得よう。実際、近代刑法の立場からすれば、中国における右の規定は、いかに同国が人口の多い多民族国家であり、各地の状況も千差万別で、変化発展の途上にあり、刑法典のみですべてを遺漏なく規定するのが至難で、その必要があるとはいえ、了解困難な規定であることに違いはない。しかし、それらの批判は、いずれも中国以外の法制度を前提とし、その立場に立って中国の法制度を批判しているに過ぎないことに留意しなければならない。法第二条第三号の適用上必要とされているのは、直接には、本件引渡犯罪が、中国の法令のもとにおいて死刑又は無期若しくは長期三年以上の拘禁刑にあたるものとされているか否かの点である。それは、基本的には、中国において正当と認められている同国の法解釈によれば右のとおりであるか否かを問題とする趣旨であって、中国におけるそのような法解釈が、わが国の憲法規定等の立場からみても正当と評価できるか否かの法的判断を積極的に含む趣旨ではないと考えられる。したがって、仮に、中国の法解釈にわが国やその他の国と違っている点があるとしても、そうした違いは独立国家間のことであるという事柄の性質上ある程度はやむを得ないこととしなければならないであろう。ともかく現に同国の法域内において、本件のような行為は、前述したような考え方に基づき、三年以上一〇年以下の有期懲役刑によって処罰されるとの統一的な解釈・適用が正当なものとして行われているのが事実であるとすれば、わが国の逃亡犯罪人引渡法第二条第三号の解釈上もその事実を無視することはできず、本件引渡犯罪は、中国においても長期三年以上の拘禁刑にあたるものと受け止め、これによって右法条が規定する要件は具備されていると考えるのが、わが国の憲法規定その他による法秩序と積極的に抵触しない限り、相当と考えられる。ところで、類推定罪と罪刑法定主義との関係について、前記の許光建作成名義の「法律鑑定書」では、ハイジャック行為は、中国では、関係ある国際公約と国内法に基づいて既に犯罪とされており、したがって類推定罪は、この前提のもとでいかに法律を適用するかを解決するための一種の方式にすぎず、決して犯罪になっていない行為を犯罪と推定したのではない、類推の濫用を防ぐため、類推によって刑を言い渡す場合には、同国では必ず最高人民法院に報告してその許可を得なければならず、さもなければその判決は効力を発することができないこととされ、これが中国では正当な解釈とされている旨説明されている。そしてそれだけでなく、法務省刑事局付検事三浦守作成名義の前記報告書及びこれに添付の中華人民共和国最高人民法院の刑事裁定書、黒竜江省ハルピン市中級人民法院の刑事判決書等によれば、同国では本件のような場合に刑法第一〇七条を類推して罪を確定するという法令の解釈・適用が本件に限らず実務上行われていて、現にその先例として、一九八五年一二月一九日、ソ連の国内便に副パイロットとして乗り込んだソ連人が、刃物を用いて機長を脅迫し、航空機をハイジャックして中国国内に着陸させたという本件類似の事件について、黒竜江省ハルピン市中級人民法院が、一九八六年三月四日、刑法第一〇条、第七九条により同法第一〇七条に照らして航空機不法奪取罪として犯罪を確定し、同条の定める刑の範囲内で懲役八年の刑を言い渡したところ、最高人民法院は一九八六年三月二八日この法律適用及び刑罰について刑法第七九条の認可をした事例があるとされている。右の法解釈のうち、中国法において、ハイジャック防止に関する前記のような国際条約の規定が国内法の犯罪確定にあたって直接適用できると解釈されている点は、わが国の一般的法解釈とは異なっている。もっとも、条約がそのまま国内法的効力を持つこととしても、それは実質的には適用される法律の形式に関する違いに過ぎないといえなくはない。また、類推定罪は、一般的にいえば、中国でも、法の拡張解釈の限度を超えたところで初めて適用されると解釈されているようであるから(王作富主編「中国刑法適用」第四節)、その意味で近代刑法の原理と合わない点があることは否定できない。しかし、拡張解釈までは各国の法解釈においても時に行われており、もとより類推解釈とは別物ではあるけれども、両者の限界は必ずしも常に明瞭とはいい難い性質のことである上、とくに類推がハイジャックに関してなされる場合には、中国が批准している前記条約中にすでに犯罪行為が明示され、締約国としてはその行為について国内的に処罰する義務を負い、これによって処罰の範囲が予め想定されている等、類推の根拠基準が明瞭となっている場合であるから、類推による弊害は、このような基準がない場合に較べれば、非常に少ないと考えられる。もとより、犯罪時に犯罪構成要件の内容自体が不明であったのに、犯行後にその内容を確定し、それによって処罰するという趣旨のものでないと考えられる。そして、ハイジャック行為に対する右のような法律の解釈・適用は、右のとおり、中国では、本件発生前から実務上確立した解釈・適用として統一的に行われていたところであって、本件に関して突然とられた解釈ではないから、その意味での不意打ちはない。もっとも、類推定罪の運用については、「一案一報を堅持すべきで、地方各級法院が勝手に過去の許可された類推案件による判決を進めてはならない」とされているようであるが(前記王作富主編「中国刑法適用」)、それは事柄の性質に照らせばむしろ当然のことであって、そのことによって、先例の予告的効果がまったくなくなるものとは考えられず、そのことは前記の許光建作成名義の「法律鑑定書」にも現れているところであるから、刑罰法令の遡及的適用の問題を生じるものではない。以上述べた点を総合考慮すると、類推定罪といわれるような罰則適用をわが国で行うことはもとより許されないが、そうではなく、ハイジャックに対する中国法による処罰が、逃亡犯罪人引渡法第二条第三号の定める「引渡犯罪が請求国の法令により、……長期三年以上の拘禁刑にあたる」との要件を満たしているか否かを検討するにあたって、中国での処罰状態、すなわち、同国ではハイジャックに対して類推定罪と呼ばれるような罰則適用が実際に正当なものとして行われ、その結果、長期三年以上の拘禁刑にあたる罪としての処罰が行われているとの事実を認定し、この処罰状態は、わが国の逃亡犯罪人引渡法が、引渡犯罪を一定以上の刑の重い罪に限ることとした要件を満たしていると判断することが、それだけで直ちに、わが国の憲法規定その他による法秩序と積極的に抵触し違法としなければならないものとまではいえないと考えるのが相当である。また、航空機を爆破して破壊するという、いわば暴力を威嚇手段とする脅迫行為が、前記条約第一条の定める犯罪にあたらないとすべき合理的な理由は、文理的にも実質的にも、見あたらないので、その点に関する補佐人の主張はあたらない。

以上述べたところによれば、本件は、法第二条第三号、第四号、第六号が定める逃亡犯罪人を引き渡すことができない制限規定のいずれにもあたらないと考えられる。

二  本件行為と「政治犯罪」

法第二条第一号は、引渡犯罪が政治犯罪であるときは、その逃亡犯罪人を請求国に引き渡してはならないと定めている。そこで、本件ハイジャック行為がここにいう「政治犯罪」にあたるか否かを次ぎに検討しなければならない。

「政治犯罪」については犯人の引渡しに応じないという右と同趣旨の規定は、逃亡犯罪人引渡に関する各国の国内法の中にも、また逃亡犯罪人引渡に関する各種の条約の中にも、通常見られるところであるから、このような原則ないし主義が、各国において広く認められていることは疑いない。しかし、「政治犯罪」という概念は、実際にはきめて多義的、不確定的であり、それが具体的にどの範囲の犯罪を指すかは、各国の国内法上も、また国際条約上もほとんど明確でない実情にあり、その結果、逃亡犯罪人引渡にあたって、個々の事案が「政治犯罪」にあたるか否かは、請求を受けた国の判断に委ねるほかない現状にある。「政治犯罪」をめぐるこのような概念の不明確さはわが国の逃亡犯罪人引渡法についても同様であり、それによればあたかも立法者は右の点について明確な定義をすることを避け、むしろその規定の適用が問題となったときに、個々の事案の性質に応じた適切な判断を司法機関に委ねる趣旨のように見える。そこで、本件が、法上、犯人の引渡しを禁じられている「政治犯罪」にあたるか否かを決するためには、一方で政治犯罪の意義、範囲の検討をするとともに、他方で引渡しを求められている当該犯罪にどの程度の政治的性質があるかを具体的な事実関係に即して確定し、その上で総合的に判断することが必要である。

1  まず、法第二条第一号(及び第二号)が規定する「政治犯罪」の意義、範囲を検討するにあたっては、政治犯罪一般の概念を検討しなければならないが、それだけでは充分でない。ここで問われているのは、法上、引き渡してはならないと定められている「政治犯罪」とは、一般的に政治犯罪といわれるもののうちどの範囲のものを指すかということだからである。ところで、一般に、政治犯罪とは、一国の政治体制の変革を目的とし、あるいはその国家の内外政策に影響を与えることを目的とする行為であって、その国の刑罰法規に触れるものをいい、通常、純粋政治犯罪と相対的政治犯罪(関連的政治犯罪)とに分けられる。前者は、もっぱら政治的秩序を侵害する行為を指し、例えば反逆の企図、革命やクーデターの陰謀、禁止された政治結社の結成など、構成要件それ自体が政治的な意味を持ち犯罪とされている場合であり(内乱罪、外患罪の一部など)、後者は、政治的秩序の侵害に関連して、道義的又は社会的に非難されるべき普通犯罪が行われる場合である。そして、相対的政治犯罪の中には、さらに、政治的目的のために例えば君主を殺害する場合のように、単一の行動が政治犯罪と普通犯罪の両者を同時に構成する複合犯罪の場合と、政治的目的のために例えば放火や略奪をする場合のように、二つ以上の犯罪があって、政治犯罪と普通犯罪とが結合している結合犯罪(牽連犯罪)の場合があるとされる。ところで、右のうち、純粋政治犯罪については、多くの国の国内法上も、また国際条約上も政治犯罪とされ、引渡しを行わないのが国際的慣行であると認められるから、法第二条第一号(及び第二号)にいう「政治犯罪」の解釈にあたっても、同様に考えるのが相当である。しかし、相対的政治犯罪(関連的政治犯罪)については、各国の解釈が必ずしも一致していないだけでなく、特定の国においても、その解釈や政治犯罪の認定範囲は、時代と共に揺れ動いている現状にある。したがって、前記法条の解釈にあたっては、事案毎の個別的事情を多角的に検討し、その行為がどの程度に強く政治的性質を帯びているか、それは政治的性質が普通犯的性質をはるかに凌いでいるかを明らかにした上で、健全な常識に従って個別的に判断するほかはない。その判断にあたって比較的重要なメルクマールになると思われるのは、差しあたり、その行為は真に政治目的によるものであったか否か、その行為は客観的に見て政治目的を達成するのに直接的で有用な関連性を持っているか否か、行為の内容、性質、結果の重大性等は、意図された目的と対比して均衡を失っておらず、犯罪が行われたにもかかわらず、なお全体として見れば保護に値すると見られるか否か等の諸点であると考えられる。

2  本件引渡しにかかる犯罪は、民間航空機に対するハイジャックであるから、これが純粋政治犯罪にあたらないことはいうまでもない。残る問題は相対的政治犯罪といえるか否かの点だけであるが、その点の判断にあたっても、そのような本件犯罪の基本的性質を見失わないことが重要である。政治犯罪の概念を論じ、その適用に頭を痛めた各国の先例も、それぞれの事案で問題となった引渡犯罪の具体的内容及びその性質を離れては正当に理解できないと考えられるからである。

まず、本件ハイジャックについて、逃亡犯罪人とされるA本人は、本件が前記条項にいう「政治犯罪」にあたると主張する理由として、一九八九年六月に中国でおこったいわゆる天安門事件に参加したことで同年一〇月一一日、中国の公安官憲に逮捕されて取調べを受けたので、翌一一月六日釈放後、南朝鮮を経由して台湾へ政治亡命しようとしたからであると述べている。これに対して検察官は、請求国である中国政府側から送付された関係書類(本件審査請求時に提出されたもののほか、その後の追加資料を含む。)にもとづき、Aは、天安門事件とは全く無関係な人物である、同人は本人主張の日時に邯鄲市公安局坐台区支局に逮捕され、その後釈放されているが、その逮捕は、同人が工場長をしていた勤務先で不法手段によって公金着服等をしていた事実が発覚したためであると主張し、右の関係書類のほか国内資料を補足的に提出し、双方の主張は完全に対立している。そこで、それらの関係証拠に基づき、まず本人の政治活動歴、天安門事件との関係、本件ハイジャックの犯行状況等の具体的事実関係を概観し、その上で、それらの事実によれば本件は「政治犯罪」と見られるか否かを検討することとする。

<1> 本人の略歴は、中国側提出の関係書類及び補佐人である弁護士に対する本人の陳述録取書、当裁判所の審問期日における本人の陳述等によれば、およそ次のとおりである。本人は、河北省邯鄲市の小学校を卒業後、同地で農業に従事し、一九七二年にバルブ工場の労働者、一九七九年に自動車修理工場勤務、一九八五年に旅館の自営等をし、一九八六年一二月に邯鄲市所在の綿加工機械工場副工場長に、次いで一九八七年一〇月に工場長に各就任、その直後の同年一二月に工場長の地位を失い、以後農業に従事していた者である。なお、本人は、工場長の地位を失った後すぐビルマへ行き、一九八九年四月まで同地で軍隊関係の参謀長をしていた旨、本件ハイジャック後あまり経っていない時期にわが国の警察官に対する供述調書(平成元年一二月三〇日付け)中で述べたことがあるが、その後はこの点に触れていない。

<2> 本件前の政治活動歴については、中国政府側の関係書類上、本人は、政治活動歴のない無党派とされているが、本人自身は、前記陳述録取書や審問期日における陳述中で、古くから中国民主化のための活動をしていたといい、その内容を詳しく述べている。それによると、本人が北京での政治活動に初めて参加したのは一九七九年春のことで、その頃あったいわゆる「北京の壁」付近へ行って民主化要求の演説をしたり、そのような路線の雑誌「探索」の販売を手伝ったりしたことがあり、さらにあるときは政治の改革を求める仲間と共に国務院へ押し掛け、逮捕中の北京大学女子学生の釈放を求めたために公安当局に逮捕され、身柄を拘束されて取り調べられたことがあり、その取調べの際には、拷問を受けたとしてその具体的内容を述べ、その時の傷跡の一部が現在も身体に残っているとも述べている。そして、北京でのこうした活動のほか郷里の邯鄲でデモに積極的に参加したり、工場労働者にストライキの呼掛けをしたりしたと述べ、古くからこうした政治的活動歴があることを強調し、本件を政治犯罪であるとする主張の伏線としている。これに対し、本人の身内の者や自宅近辺の者らはすべて、本人は経済問題と呼ばれている後記の汚職事件で逮捕されたほかには逮捕歴はないと述べて本人の政治活動歴を否定している。例えば、妻のIは、一九七五年に本人と結婚して以来のことについて、本人は「政治には無関心で、誰が政権をとっても私たちには何の関係もないという考えでいた、邯鄲で学生デモがあったときもこれに参加せず、仕事探しに夢中であった、また関心を持つ余裕もなかった。」と述べ、父で郵便局定年退職者であるKも「本人は、政治的な誤りを犯して処分を受けたことはない、一九八九年の一〇月経済問題で逮捕された後釈放された。」と述べ、長兄で郷里で警察官をしているLも、本人はこれまで「一度も政治に対する不満を示す言論をしたことはなく、そのことで処分を受けたこともない。一九八九年一〇月に経済問題で逮捕され約二〇日間拘禁された後、釈放されたことがあるだけである。」旨、父とほぼ同様の供述をし、次兄で郷里で輸送ステーションに勤めているMの供述もほぼ同旨である。本人が、身内の者が多数住む邯鄲でデモに参加したり、ストライキの呼掛けや指導をしたりし、さらに列車で八時間もかかるという郷里の邯鄲と北京との間を、仮にその供述にあるように政治活動のため頻繁に往来していたとするならば、そのことを妻や身内の者に全く知られないでいるということは考え難いから、これらの者の供述か本人の供述かのいずれかに事実でない点があることが疑われる。また、本人は、一九七九年四月一日若しくは二日に北京へ行き、五日に前記女子学生逮捕の事態が持ち上がり、その釈放を求めて同月末に再度北京へ行って、先述のとおりの活動をし逮捕されたと述べているところ、そのころ本人が勤めていた邯鄲市坐台区東風バルブ工場財務科保存の出勤状況を示す「考勤表」には、本人がそれらの日及びその前後の期間を通じて、いずれも同工場へ出勤していた記録が残っていたとして、それが今回中国側から提出されており、同時に「工場での仕事ぶりは一般で、反党反社会主義の言論はなく、政治問題で処分されたことも一切ない。」とされているので、その点の違いについても同様の疑問が持たれる。これに対して、本人は、右「考勤表」は中国当局によって偽造されたものであろうという。本人の筆跡や指紋が残されているものではないから、本人の右主張を否定する根拠もないが、多数の者の出勤状況が記載された中にその一部として本人の出勤状況が記録されている体裁からみると、簡単に偽造といって無視できる性質のものでもない。

<3> いわゆる天安門事件当時の本人の行動に関しても、右同様に、証拠上不透明な点が多い。すなわち、本人は、前記陳述録取書や審問期日における陳述中で、一九八九年三月、四月、五月ころに何度か北京へ行ったのに続いて、五月二九日から翌三〇日ころと、六月三日から同月五日頃にかけて北京へ行き、天安門付近のデモ隊に加わったこと、その際本件で証人となったNに初めて会ったほか、旧知の同志であるOやPらとも出会い、とくに六月三日ころPの依頼で、そのころ北京にできていた「北京工人自治連合会」(以下、「工自連」という。)の内部組織である「工人糾察隊」の一隊の長になったといい、天安門付近の当時の状況、例えば軍隊等の動きや学生、労働者との衝突経過、軍隊の発砲状況、その後の学生らの撤退状況その他について詳細な供述をしている。ところが、本人のこのような供述に対して、妻であるIらはこれを否定し、「天安門事件が起きた一九八九年に本人が北京へ出かけたのは、同年八月に一回限りであった。行った目的は、わが家の生活を保証するため、本人の就職問題を解決して貰いたいというもので、具体的には、村の党支部書記Qが本人に仕事を与えてくれないことに関して国務院に陳情するためであった。本人は自宅でその手紙を書いた。北京には二・三日滞在して帰宅した。同年四月から六月に北京へ行ったことは絶対にない。」と述べ、六月一日から四日を中心とする北京動乱の頃には、「本人は、邯鄲市内所在の自宅にいて、六月はじめに自宅へやって来た坐台区公安局一科のRとSさん、またT局長と邯鄲市公安局一処のU処長らから、外出しないで約束どおり前記工場の会計帳簿の整理、決算をするように命じられ、それに追われていた。」、「毎日家にいて、自宅で食事をし、テレビで北京動乱のニュースを見たりしてぶらぶらしていた、現地でもデモがあったが、本人は参加しなかった。」と述べ、その他本人が同年三月から六月初め頃、邯鄲市坐台区四季青郷四季青村に在村していた旨の、隣家の住人その他近隣の多くの旧知の者の証言記録が提出されている。もとより、事柄の性質上、近隣の者の証言をそのまま信用することは危険であろう。しかし、それらの中には、妻の証言の裏付けとなっているものがある。例えば、Iの証言にでてくるUは、「一九八九年四月から六月までの間、本人の自宅へ行き、村の責任者立会いの上で、本人が村の綿機械工場の請負をしていた期間中の会計帳簿を調査し、決算した。妻のIもずっとその場にいた。」と述べ(一九九〇年二月二七日付け証言供述)、同じくRもほぼ同趣旨の供述をしている(同日付け証人供述)。そして、それらはいずれも邯鄲市坐台区人民検察院が本人に対する公金着服の汚職罪について立件した後、本人を逮捕するに至るまでの捜査中のことにあたっていて、本人に対するその後の捜査につながったものと見え、当時、本人が置かれていた立場と客観的に合致している。また、前記Iの供述は、本年二月二〇日に中国でなされたものであるが、本人とQら幹部との間で不正告発をめぐる対立があったことについては、本人自らその後の陳述録取書中で認めており、妻の前記供述内容と一致し、それを裏付けることとなっている。こうしてみると、右の点に関する妻の供述は真実を述べたものとして信用するほかなく、そうすると、これら関係者の供述が中国政府の管理下になされたものではないという保証はないとする本人側の主張を考慮しても、妻や近隣の者の供述のすべてを信用できないとするのは疑問と思われる。さらに、天安門事件当時の状況に関する本人の供述がきわめて詳細であることはさきに述べたとおりであるが、以下に述べる点を考慮すれば、その信用性についてはいま一歩立ち入った検討が必要と考えられる。すなわち、同事件の全体的、客観的な状況については、当時中国国内でも、新聞やテレビを通じて相当広汎、詳細な報道がされていたようであり、Iの証言記録によると、本人は、天安門事件のテレビ報道等を自宅でよく見ていたとされているから、その概略の経過、状況や、その中でも特徴的な場面のこと等について本人がある程度詳細な供述をすることができたからといって、それは本人がその場へ行っていたことの証明に必ずしもなるものではない。また、このような場合、後で聞き知ったことをあたかも自ら経験した事実であるかのように供述することがとかくありがちであり、またそれは一般的な事実に関してならば格別困難なことではないことを考慮しておかねばならないであろう(当時の中国国内における天安門事件に関する新聞報道の内容については、検察官作成の平成二年四月四日付け報告書参照)。そう考えると、本人の陳述内容のうち、事件全体の推移について供述する部分と、本人の個別行動に関して供述する部分とは、信用性を一応別個に検討するのが適当と見られる。そこで、本人自身の行動に着目してみると、証人Nは、当裁判所の審問期日における証言中で、一九八九年五月二九日、天安門付近で本人に声をかけられて話をし、「工自連」の事務所を尋ねる同人にそれを教え、責任者であるVに会うことを勧めて別れた、Aという名前が同証人の従兄弟と同じであったので覚えている、また、翌五月三〇日、「工自連」事務所の中庭に工人糾察隊の赤い腕章をした同人の姿を見た、さらに天安門事件当日である六月四日朝、広場を走り回る本人の姿を見た等と証言している。当時、多数の人に会う立場にあったNが、本人のことを右のように詳細に覚えているというのも疑問であるが、仮に右の証言どおりであるとすると、その証言内容からみて、天安門事件当時その付近へ行っていたという本人の供述は、妻の否定的供述にもかかわらず、右の限りで一応の裏付けを得ていることとなりそうに見える。しかし、右のN証言自体には以下に述べるような疑問があるほか、本人の陳述にあらたに疑問を生じさせる点もないではない。例えば、当裁判所における本年三月二三日の第一回審問期日後、四月四日の第三回審問期日までの間にあたる三月二七日から同月三一日の間に、中国側当局において作成された「工自連」幹部の証人供述調書その他によると(右の供述調書は、四月四日、中国側からわが国の外務省へ送付され、翌日検察庁から提出され、その段階で補佐人の閲覧に供された。)、天安門事件直前の五月一九日に「北京工人自治連合会準備委員会」がまずでき、二〇日に「北京工人自治連合会」となったが、その時の役員選出でNは落選したため、以後、同人は「工自連」の活動に参加していないと述べられていて、N証人も右経過を大筋で認めざるを得なかったから、そうすると、その後は「工自連」事務所へ出入りしていなかったとされるNが、同事務所のすぐ近くで本人に偶然出会ったとか、右のように出入りしなくなった「工自連」事務所の所在場所を本人から聞かれたとか、本人に右組織の幹部に会うことを勧めたとかいう点には、いかにも偶然が重なりすぎているように感じさせる点がある。また、少なくともNがかなり早い段階で「工自連」の組織を離れていたことが同人も認めるとおり事実であるとすると、五月三〇日という、N自身としては「工自連」事務所へ出入りしなくなって暫く経っていた筈の時期に、その事務所の中庭に工人糾察隊の腕章を巻いた本人の姿を見たというのは、関係者の前記供述と対比するとやはり自然に納得することは難しい。一方、本人は、NからVに会うよう勧められたというのに、その後同人に会った形跡がない。かえって、本人が工人糾察隊の一隊の隊長を命じられたという点について、同隊の責任者や有力メンバーであったとN証人も認めるV、W、X等は、いずれも、糾察隊やその分隊の長にAはいなかったと述べ、とくにVは、右の組織には北京以外の人を入れていない、Nが入っていたのは準備会当時からの発起人であったためであり例外であったと述べている。また、本人は、「工自連」にメンバーとして登録したことを前提として供述しているが、同組織でメンバーの名前を確認していたというYもZも、その中にAはいなかったと述べ、その他の者を含む多くの者が、本人の写真を見た上で全く知らない人であると述べているのである。翻って、Nに会ったときの状況についての本人の陳述を見ると、N自身は、当時はベージュの背広を着ていて、眼鏡をかけており、これを外すことはなかったと供述しているのに、本人はNは紺色の上着を着ていて、眼鏡をかけていなかったと陳述するなど、本人の供述内容は微妙に違っている。もとより、「工自連」発足の当初はともかく、五月二九日ころの、おそらく相当に混乱していたのではないかと思われる当時の状況の中で、「工自連」や糾察隊メンバーの正確な確認がなされていたと考えるのは必ずしも適当ではないかも知れないし、右の者らの証言も中国政府側に管理されている結果ではないかとか、それらが遅れて提出されたために充分反論することができなかったとの本人側の立場や疑問も最終的には無視できないから、前記の点を過大に評価することはしない。ただ、Nの証言によると、糾察隊は、交通維持その他の目的で事件直前に急に出来たもので、全部でどれくらいの人数となっていたのか不明であるが、およそ一万人くらいにも達していたのではないかというのであるから、そのことと本人の詳細な陳述とを合わせて考えれば、本人がそれらの者の活動状況を目撃し、あるいは更にそれらの者と行動を共にすることがなかったとはいえないであろうし、Nが目撃した状況の一部にはそのような時のものを含んでいるといえなくもないかもしれない。それ以上は資料の制約があって不明であるが、ともかく本人が糾察隊と関わりを持っていたというのが仮に事実であるとしても、少なくともその中で重要な役割を負っていたものでないらしいことだけは否定できないように見える。それ以外に同人が関与したという個別行為で、固有の記憶に基づくと見え、あるいは裏付けのあるものはとくに見あたらない。糾察隊の隊長であったという点に疑問があることが以上に述べたとおりであるから、隊長として軍用車両を炎上させたという陳述も、陳述どおりには信用し難い。

以上述べたところによれば、本人が天安門事件当時その付近へ行き、デモ等に参加したというのが真実であるか否かについては疑問があるものの、参加したという同人の供述を仮に信用するとしても、それはせいぜい一参加者としての行動の域を出るものとは見られない。それ以上の同人の関与行為についてはむしろ不明というほかない。

<4> 本人は、一九八九年一〇月一一日、汚職罪で逮捕され(河北省邯鄲市公安局坐台区支局長作成の一九八九年一〇月一一日付け逮捕状、同市坐台区人民検察院作成の一九九〇年二月二三日付け証明書)、同年一一月六日保釈された(河北省邯鄲市坐台区人民検察院作成の同日付け保釈決定書、同市坐台区人民検察院作成の一九九〇年二月二三日付け証明書)。右の汚職罪とは、本人が、邯鄲市所在の綿加工機械工場の工場長在任中の一九八七年一二月頃、職権を悪用して、共犯者甲らとともに、領収書の偽造、他人の名義による金銭の横領、鉄板の横流しによる公金の私物化などの不法手段で、公金約九六〇〇元を横領した中から、本人分として約五五〇五元を着服したというもので、中国刑法一五五条の規定に触れ、汚職罪を犯すというものであった(邯鄲市坐台区人民検察院検察長作成の立件決定書、前記保釈決定書、邯鄲市公安局作成の一九九〇年二月二三日付け報告書)。

右事実に関する捜査と本人逮捕の経過を中国政府側提出の関係書類によって見ると、まず邯鄲市坐台区検察院は、一九八八年四月、工場長任期中のAに汚職問題があることを発見し、同年一〇月七日立件捜査を決定し、同月一一日本人を逮捕して取り調べたところ、本人は、身柄拘束中(一九八九年一〇月二三日付け「被告尋問記録」二通)に自供しただけでなく、釈放後においても(同年一一月二二日付け)、取調官に対して大筋において事実を認め、一部争ったのは、共犯者甲と共同で小切手を使って引き出した外部加工賃六四〇〇元の分配額の点についてだけであったように窺われる。そして、その後本人の着服金額のうち五〇〇〇元を妻であるIが返済したので(同人の一九九〇年二月二〇日付け「証言記録」)、その事実及び本人が期限内に汚職行為を自供し、みずから進んで汚職金を返上した態度がしん酌されて、一一月六日、中国法にしたがって保釈裁判待機となり、釈放されたというのである。この事実に関しては、五〇〇〇元の返済をした妻のIがその経過を北京市公安局係官に供述しているだけでなく(前記証言記録)、先述した本人の親、兄弟その他身辺の者らの中にも、右の身柄拘束が本人の経済問題による取り調べのためであったことを知っていて、その旨述べている者が少なくない(次兄Mの邯鄲市公安局坐台区分局係官に対する一九九〇年三月一日付け証言記録、長兄Lの邯鄲市坐台区公安分局係官に対する一九九〇年三月一日付け証言記録)。これに対して、本人は、陳述録取書や当裁判所の審問期日における陳述中で、公金着服の事実を否認し、逮捕中に公金着服について取り調べられたのは僅かで、多くは天安門事件に関与していないかどうかについてであった、着服事実も天安門事件への関与事実もともに否認し、その後取調官に金二万元余の賄賂を提供してようやく釈放された、着服事実を認めている三通の尋問記録は、取調官に責められて再逮捕の心配を感じたので、釈放後に署名した、と述べている。この時の取調べについて、本人は、郷里の責任者の汚職を国務院に告発したことの報復であるとも主張しているが、妻の供述中に、そのようなことが動機となって天安門事件後の八月に北京へ陳情に行ったと述べる部分もあることであるから、幹部の不正やこれを指摘したことによる関係者との対立等の事情があったことは、ある程度推知されるところである。しかし、それらの者に本人がいう不正行為があったか否かは別として、本人の不正に対する右の捜査が、公金着服に名を借りて、天安門事件の追及をしようとするものであったというのは証拠上直ちに信用し難いというべきである。犯行時期と逮捕時期との間にかなりの間隔があることは事実であり、補佐人指摘のような疑問を持つ余地があるというのは一つの見方であるが、そうであるとしても、本件の資料をもとにして一連の捜査経過に疑問があるということはまだ困難である。本人の着服金額のうち五〇〇〇元を妻であるIが返済したと同女自身が認めている点は無視できない。むしろ、本人の供述に不自然さの目立つ点がある。例えば、本人は、中国の捜査官に対する三通の「被告尋問記録」の中で、公金着服の事実を具体的な関係者の名前を挙げて認めている。その認め方も、事実を概括的に認めるのではなく、共犯者間における着服金の分配額を争い、その点については共犯者程の供述と合致しないままに終わっている。だから、本人としては主張すべき点は主張し、逆に認めるべき点については、程のほかにも関係者の名前を挙げて、具体的に認めていたとされてもやむを得ない供述内容と見られる。そこには、本人が取調官に脅されてやむなく事実を全体的に漠然と認めたというような様子は少しも窺えない。さらに、本人は、三通の尋問記録への署名は、取調べ当日にしたのではなく、釈放後の一一月二二日に一括してしたと審問時に補佐人に聞かれて一旦述べたが、検察官から、一〇月二三日付けの尋問記録二通の署名がいずれも「A」となっているのに対して、一一月二二日付けの尋問記録では「C」となっている違いを指摘されると、内二通ともう一通の各署名は同じ日ではあったが別の場所でした、署名した名前が同じでないが、その点はあまり意識せずそのようになったと、不自然な弁明をし、その説明経過にはことさらな印象が強い。さらに、本人はこの時の取調べの中心が北京へ行って天安門事件に参加したのではないかという点にあったといい、だから追及が厳しかったと述べながら、賄賂を提供するとすぐに釈放されたというのは、いかに外国でのことで証拠の制約上その真偽に分かりにくい点があるとはいえ、不自然で容易に信用できる状況にはない。

<5> 本人は、出国のため本件ハイジャックに及んだ経過について、前記陳述録取書や陳述中で、天安門事件後の一九八九年六月から一〇月にかけて、三回にわたり、ビルマ、台湾、香港へ向けて、家族を残したまま単身での脱出を試みたが、国境の警備が厳しくあるいは海へ出ることも困難で目的を達することができず、その後ハイジャック以外には方法がないと考えるようになったと述べている。しかし、本人から外国行きを打ち明けられたという妻のIは、出国の事情について、これと全く違う供述をしている。すなわち、それによると、「本人は、一九八九年一〇月に汚職罪で逮捕されたが、一一月に保釈された後に、私に、自分は冤罪を蒙り、辛い思いをしたので、一緒に外国に行こう、ここにいてはつまらないといいだした。私は、最初賛成しなかったが、本人がダイナマイトを作り、飛行機をハイジャックして外国へ行くんだと言い、度々外国行きの話を持ち出したので結局同意した。」(同人の北京市公安局における一九八九年一二月一七日付け証人供述調書)とか、あるいは「本人は、一九八九年一一月釈放された後、長く仕事がみつからなかったので、いらいらして私に生計を立てるため外国へ行きたいといった。」(同人の北京市公安局公共交通分局係官に対する一九九〇年二月二〇日付け証言記録)等と供述している。このように、妻は、本件ハイジャックによる出国の動機として、本人が汚職罪を摘発され辛い思いをした点や生計の都合を挙げるのであるが、その供述内容は、本人が同罪による摘発を受けた客観的事実や、同人がそのことに強い不満を持ち、郷里に住み辛くなったと述べている事実とも符合するように考えられる。これに対して、本人は、出国の目的について、そのまま中国に留まるのは危険なので、一旦自由主義国に出て、中国の現状を世界の人々に知らせるとともに、国外の反共勢力と連合して中国の改革をしたい点にあったという。しかし、もとより右の活動について現実的な予定があった訳ではなく、本人のそれまでの活動歴等を考え合わせると抽象的に過ぎるから、自然に考えれば、国内にいて公金着服事実または政治活動を理由とする摘発を受け、これによる処罰を受けるよりも、国外に脱出して処罰の危険を免れた上で生活したいとの点にあったのではないかと理解するのが自然である。

<6> 本人は、さきに述べたとおり、本件ハイジャックの行動に出て機長らを畏怖させた際、爆薬を持っているとの嘘を言い、着衣の左胸に右手を差し入れて起爆紐を引きかねない態度を装った。その後判明したところでは、航空機内では爆薬等は所持していなかったが、終始用意していなかったのではないと認められる。すなわち、本人のわが国の捜査官に対する供述調書によると、本人は、故郷の邯鄲市で爆薬を入手し、手製で、一〇センチメートル×五センチメートル位の長方形の爆弾をつくり、一〇回くらい実験して鉄道のレール三本をいっぺんに吹き飛ばせるほどの威力があることを確認済みであり、北京市へ来るまでの間これを腰に巻き付けて所持していたが、飛行機に乗る直前の一二月一二日から一六日まで宿泊した北京市の松園旅館で、風呂に入ろうとして着衣を脱いだ時に落として濡らしてしまい、役に立たなくなったので同旅館のトイレに捨てたため、機内に持ち込むことができなかった、と述べているのである(福岡県警察本部警察官に対する平成元年一二月一六日付け及び同月三〇日付け各供述調書)。そして、次のような事実によれば、右供述内容の真実性は高いと見られる。すなわち、本人が自宅でダイナマイトを扱っているところや、今回北京へ来たときにいつもダイナマイトを詰めた布帯を腰に巻いていたのを目撃した旨Iが供述していること(一九八九年一二月一七日付け証人供述調書)、また北京市で泊まった旅館で、風呂に入ろうとした際濡らし、役に立たなくなったので同旅館のトイレに捨てたという本人の供述は、自ら言わなければわが国の警察官には全く分からない説明であって、警察官の誘導による供述とは到底見られないこと、加えて、本件ハイジャックの犯行当日である一二月一六日、即日邯鄲市坐台区所在の本人方の捜索を行った結果、同人方から、黒色火薬約二八三グラム、銀色火薬約一五グラム、燐の切れ若干量その他が発見されたが、一方同じ日に本人はわが国の警察官に対して、本件爆弾は手製であり、雄黄、煙溌、銀粉の三種類を混合して作ったと供述している事実があって、これによれば同じ日に中国と日本で格別に入手された証拠が、爆薬の存在及びそれが三種類の物を含んでいることの点で相互に一致し、到底否定できない状況にあるからである。この点について、本人は、前記陳述録取書や陳述中で、爆弾を用意したことはない、日本の警察官に対して爆弾を用意したように述べたのは、本件ハイジャックに失敗した直後の意識がもうろうとしている時に、爆弾を用意したろうとしつこく聞かれたのでこれを認め、邯鄲で兎狩りをするとき火薬を紐で腰に縛り付けることを思い出して、爆薬を腰に縛り付けたと供述したためである、と弁明している。しかし、本人は、ハイジャック当日である平成元年一二月一六日付け供述調書だけでなく、その次に作成された同月三〇日付け供述調書中でも同趣旨のことを重ねて述べており、とくに実験をしたことについても述べているのであるから、これを合わせてみれば、前記の弁明によっても否定することは到底できない。また、本人は、自宅から爆薬等が発見、押収された点について、そのような物を自宅に持ってはいなかったから、自宅で発見したという中国側の書類及び写真は偽造であるともいう。しかし、右は日中双方の捜査当局にとって、ハイジャック当日のまだ事件の全体像を把握する時間的余裕も充分にはなかったと見られる時期に行われたものであり、しかも、これには本人の次兄であるMが立会っているのであるから、その信用性に格別の疑問はないというべきであり、むしろ本人の前記弁明こそ不自然すぎて信用できないと考えられる。こうしてみると、本件では、爆薬の機内持込みによる危険性は高度であったのであり、これを避けることができたのはまったくの偶然に過ぎなかったと見られる。

<7> 本件ハイジャックの犯行時における本人の行動は、概略さきに述べた審査請求事実記載のとおりである。関係証拠上明らかなそれ以外の周辺事実を若干付加、指摘すれば、本人は、本件航空機に、妻であるI及び一三歳の子供の三人連れで搭乗していたが、他に共犯者と見られるものはいなかったこと、本人は、機内で審査請求事実のとおり機長らを畏怖させて同機の運行を支配したが、畏怖させるにあたっては、紙幣に脅迫文言を記載してこれをスチュワーデス等を介して機長に渡し、爆薬を持っていると嘘を言いながら、着衣の左胸に右手を差し入れて起爆紐を引きかねない態度を装い、ほか二、三の脅迫文言を口にしたほかは、終始自己の座席に着席したままであったこと、同機に搭乗していた乗客の中には、例えばHのように、機内の様子に異変を感じ、スチュワーデスに事情を尋ねたのを拒否されて死の問題を考えるほどの恐怖感をいだいたと明確に述べている者がおり、また、他にも同様の恐怖感をいだいた乗客がいたことは、同機に乗っていたアメリカ行きの乗客一〇二人中一四名が、福岡空港で予定を変更して同機を降りていることからも推知できること(乗客の中には、福岡空港着陸後はじめてハイジャックの事実を知り、それ故航行中パニックを感じなかったという者がいたとしても、その事実は右認定と矛盾しない。)、福岡空港に着陸後、乗務員らの案内で本人ら三人は後部右側ドア方向へ行き、既に開けられていたドアから外を確認するよう乗務員に言われるまま外を見て振り返ろうとしたところを乗務員の一人に後ろから押され、本人だけ機外に突き落とされたこと等である。最後の点を見ると、本件は、ハイジャックという発想の大胆さに比して、実行にあたってはやや用意周到さに欠け、政治犯としてはやや犯行内容に稚拙さが目立つ点があると感じられる。

<8> ところで、本人の供述は、当初、わが国の警察官に対してなされ、ついで担当弁護士に対してなされ、その後当裁判所においてなされているが、それらの供述の中には、供述が誇大過ぎたり、あるいは不自然さが目立ったりして、信用性につきやや検討を要する点があるように思われる。

まず、一連の供述の中で本人の主張の基本的骨格を示すものとして注目を要するのは、本人が、本件に関する各種報道その他によって複雑な思惑を生じる余地のない時期に述べたと思われる本件犯行直後の供述である。すなわち、本人は、本件ハイジャック当日の平成元年一二月一六日、救急車で収容された先の福岡市内の病院で、福岡県警察本部の警察官に、通訳人を介して、本件犯行の動機として、「天安門事件のとき、私はデモに参加し、その罪で一〇月一一日に拘束され、はっきりした罪名も告げられないまま、一一月六日まで投獄されていました。このため工場長の職務を追われてしまいました。それが直接の動機です。」と述べ(同日付け司法警察員に対する供述調書)、また、その約二週間後の同月三〇日にも、同様に「今年の天安門事件の時のデモに参加したことで捕まって取調べを受けたことがありますが、それ以外にはありません。今回ハイジャックをした理由は、天安門事件でも分かるように中国には自由がないので、自由を求めて南朝鮮を経由して台湾に行くためにしました。」と述べている(同人の同日付け司法警察員に対する供述調書)。後者の供述時には、「一〇月一一日、公安局に連れて行かれ、邯鄲市で暴乱を組織したということで逮捕され、厳しく取り調べを受けました。」と述べていたこと(司法警察員作成の同日付け事情聴取報告書)を合わせて考えると、ここに天安門事件の時のデモというのは、北京でのデモを指す趣旨であるのか、邯鄲市でのデモを指す趣旨であるのか必ずしも明らかでない点がある。この点を暫く別としても、右の供述において、本人は、一九八九年一〇月一一日に天安門事件のときのデモ参加を理由として逮捕されたかのように述べるのであるが、先述のとおり、一〇月一一日は、本人が公金約五五〇五元を着服したとの汚職罪を理由として逮捕された日であり、一一月六日は、同罪の保釈によって出獄した日であった。右事実が動かし難いことは先述のとおりであり、本人が天安門事件で逮捕されたと主張する日時がこれと全く合致しているだけに、本人がことさら直接の逮捕事実であった公金着服の事実について供述せず、天安門事件によるかのように内容を差し替えて供述した点に疑念をいだかせるところがある。これに対して、本人は、さきに述べたとおり、公金着服による逮捕は捜査のための口実であって、実際には天安門事件に関する取調べであったという。また、本人は、逮捕が天安門事件によるものであったことを強調したいためか、警察官に対する前記供述中で、この時には罪名も告げられないまま一一月六日まで投獄されたと供述している。しかし、同人が右のとおり逮捕されていた間に行われて作成された同人の「被告尋問記録」によれば、同人は、公金着服の被疑事実について取り調べられ、捜査官に対して、具体的にその事実を認める自供をし、それを調書に記載され、その記載内容が間違いないことを確認した上で署名しており、署名した事実自体は当裁判所の審問期日における陳述中でも認めている。その署名経過に関する本人の弁明が信用し難いことについてはさきに述べたとおりである。そうすると、少なくとも右が公金着服事実についての取調べであったことを述べているのでなければ、余りにも正確さを欠き、誇張が過ぎるとされてもやむを得ない。また、罪名も告げられないまま投獄されたという本人の前記供述には、むしろ事実をことさら曲げて供述しているのではないかとの不審さえ生じかねない。さらに、本人が、陳述録取書中で、右の供述は取調官に供述を強制されてやむなく認めたものであると述べるが、その点がそのとおり信用し難いことについては、さきに述べたとおりである。本人は、同じ供述の中で、天安門事件で逮捕されたために工場長の職務を追われたとも供述しているが、その点も関係書類によると真実ではない。すなわち、関係書類によれば、同人は、一九八七年一〇月工場長に就任し、同年一二月その地位を失い、以後農業に従事していたと認められるから、天安門事件によって逮捕後に職を追われたかのようにいうのは、工場長の地位を失った理由の点でも、また、その時期の点でも、真実ではないと考えざるを得ないのである。

さらに、この供述中では、天安門事件の時のデモに参加したことで捕まったことがあるだけで、その他には取調べを受けたことはないと供述していたのに、当裁判所の審問時には、一九七九年に逮捕されたことがあると積極的に主張している点や、一九八七年暮れに工場長の地位を失ってすぐ、内戦状態のビルマへ行って「二旅」の参謀長兼技術員(麻酔薬関係)をし、一九八九年四月に邯鄲に戻ったと供述していたのに、その後の当裁判所での審問時には、その間に北京市内ほかで政治活動をしていたように供述し、あるいは爆弾の知識はないと述べたりしているのも、解せない点の一つである(本人は、難民認定申請書には、何故かこの点だけを記載していない)。その他、中国の指導者であった趙紫陽から直筆の手紙がきて、その依頼で同人宛に毎日報告をしていたと述べたり、毛沢東思想兵団という、公安当局にも察知されていない組織があって、これに加わり中国の現政権打倒を企てていると述べたりしている点(司法警察員作成の平成元年一二月三〇日付け事情聴取報告書)は、到底そのまま信用することはできず、むしろ本人にはやや誇大に述べる性格傾向があるのではないかとの不審をいだかせるものがあるとさえいえる点である。

これらの供述を通覧すると、個別事項毎の供述の相違もさることながら、本人の供述には供述全体の信用性に関して疑問を持たせる点が少なくない。

<9> 以上に述べたところを総合すると、本件では、中国政府側提出の関係書類の内容と、本人の陳述録取書ないし陳述、これと符合する証人Nの証言ないし同人の陳述録取書、その他関係書類の内容とが大きく違い、対立している点が際だって目立っており、その何れをどの限度で信用できると見るかについては事項毎に慎重な検討を要するが、全体としてみると、本人の供述は、内容は詳細であるけれども、よくよく検討してゆくと信用性に疑問の残る点が多い。ただ、本件ハイジャックの政治的性質を考える上で必要な範囲に焦点をあわせて見ると、仮に天安門事件に関与したという本人の供述を信用するとしても、それは個別参加者という域を超えるものではなく、それ以上の関与程度に関する本人の陳述はやや誇張し過ぎとの印象を拭えない。

3  本件ハイジャック行為に至るまでの経過、犯行の状況、これに関する双方の主張等の概略は右に述べたとおりである。そこで、これらの事情を基にして、本件が相対的政治犯罪と考えられるか否かを、さきに述べた主要なメルクマール等に照らして検討しなければならない。

まず、右の点の判断にあたって最も重要なことは、本件は民間航空機をハイジャックし、政治目的と無関係の二二〇人を超える一般人乗客及び乗務員を危険にさらした犯罪であるという点である。航空機による国際間の往来が大衆化し、これに合わせて機材が大型化しかつ便数も飛躍的に増加した現在、民間航空機に対するハイジャック行為は、これまでには予想もできなかったほど多数の一般乗客及び乗務員らに生命の危険や恐怖を与える凶悪な犯罪と考えなければならない。また、それ以外にも航空機及び航空施設その他の財産等の安全を害し、航空業務の運営に深刻な影響を及ぼし、航空の安全についての諸国民の信頼感を損なうこと大なるものがあり、それが現代の社会に与える不安、悪影響には計り知れないものがある。とくに、航空機は、乗務員に対する加害行為等によって運行管理能力を失った場合はもちろん、進路変更等によって飛行時間に狂いを生じ燃料不足等の事態を生じた場合にも、一歩誤れば墜落して機体とともに多数の生命を失わせる危険を常にはらんでいることを忘れてはならない。航空機は、この点で船舶等の場合と大きく事情を異にしているのであるから、その運行の安全性確保のため特別に手厚い配慮が必要である。これを本件でハイジャックされた中国民航機の場合について見ても、先述のとおり、着陸を希望した韓国の各空港からその同意を得ることができず、燃料切れによる危険を前にして福岡空港に急遽着陸した事実が認められ看過できない。同機に搭乗していた乗客の中に、飛行中死の問題を考えるほどの恐怖感をいだいた旨述べている者がいるだけでなく、同機に乗っていたアメリカ行きの乗客一〇二人中一四名が、予定を変更して福岡空港で同機を降りていることからも事態の深刻さを推知することができる。本件はそのような事案であったことを、以下の判断の前提としてまず念頭においておかなければならない。

ところで、国家の政治体制や政治的秩序と全く無縁な民間人乗客・乗務員を理由もなく恐怖のどん底に陥れ、これと引き換えに、国外逃亡その他の個人的目的の達成を図ろうとするハイジャック事犯の根絶をはかるためには、本来、その犯人を本国に引き渡し、ハイジャック行為について正当な処罰が行われるようにする国際的合意の成立が有効かつ必要と考えられる。したがって、その場合、政治犯罪であること等を理由として、この要請を犠牲にしてでも犯人不引渡しの原則を適用するのが正当であるとするためには、多数の一般乗客等がハイジャックによる不利益を受けながらなおこれを忍ぶのもやむを得ないとするだけの充分な理由、すなわち、その犯罪に、逃亡犯罪人引渡法上、一般人乗客等が受けた深刻な不利益より以上に保護されるべき正当な利益が認められることが必要というべきである。政治犯罪人不引渡の原則にも、それなりの沿革と理由があり、尊重されなければならないことはもとより当然であるが、ハイジャックのように一九六〇年代後半から急速に増加し、重大な国際問題となっている犯罪の防止をはかる必要上は、この点を緩やかに考えることは適当ではない。そこで、これを、まず本件行為の目的についてみると、本件犯行は、犯行自体又はその波及効果として、国の政治体制の変革や内外政策に影響を与えることその他を直接の狙いないし目的とするものではなかった。それは直接には、本人とその家族の国外逃亡を目的とするものであって、国家に対して向けられた犯罪行為という政治犯罪に特有の性質をほとんど持っておらず、主として民間人に向けられた犯罪行為と見るのが適当である。本件が政治犯罪であるかどうかを検討するにあたっては、ハイジャック行為によって生じた本件被害のこのような性質を充分考慮しなければならない。つぎに、本件行為が政治目的達成の上でどの程度の効果を持つ行為であるかを見ると、本件ハイジャック行為は、客観的には、本人の逃亡効果以外に、政治目的との間で直接的な有用性ないし関連性を有していたとは認められない。本人が国外へ脱出した上で、民主的な新中国を建設しようとする団体に参加し、あるいはかような団体を新たに組織して中国共産党の独裁政権を変革し、中国の民主化に寄与する目的であったといってみても、そのことに現実的な裏付けがあったわけではなく、政治目的との有用性ないし関連性はあまりにも間接的に過ぎる。結局のところ、本人の供述を前提としても、天安門事件に絡む国内での処罰回避を、直接かつ中心的な目的とする犯行であったと見るほかはない。もっとも、この場合、中国からの脱出目的が、天安門事件に関与したことによる政治的な迫害を受けるのを回避する点にあったとすれば、その限りで犯行の動機にある程度政治的な事情が関係しているということはできる。そして、最近の中国にみられるような政治体制の国家から右の点を理由として個人的に脱出する際に犯す犯罪を逃亡犯罪人引渡法上いかに考えるかは非常に微妙で困難な問題であるが、犯行の動機に政治的事情が関係していれば直ちに全体として政治犯罪になるとは考え難いだけでなく、そのすべてを政治犯罪と認めることは、政治犯罪について犯罪人不引渡しを定める規定の趣旨に照らし、きわめて疑問というべきである。このことは、天安門事件の関与者が、同事件の責任追及を免れるため個々的に本件のような犯罪を犯した場合、その全てに政治犯罪不引渡しの保護を認めるのが適当か否かを考えてみれば自ずから明らかであろう。その点は、次に述べる目的と手段との均衡等の点と合わせて考慮するほかないであろう。ところが、本件ハイジャック行為によって生じた侵害行為の深刻さと、本人がこれによって最終的に目指した目的とを対比した場合、その間に必要な均衡が保たれていないことが本件ではきわめて明白であり、この点は本件ハイジャックとの関係で最も重視しなければならない点である。本件行為に際して、本人は、機体爆破の趣旨を機長に伝えただけで、実際には爆発物はもとよりその他の武器を所持していなかったし、乗客、乗員等に対する暴力行使に及んでもおらず、結果的にみると危険性の度合いが低いハイジャックであったことはそのとおりである。しかし、ハイジャックの場合、武器携帯、機内における暴力行使の恐怖もさることながら、それ以上に重要なのは航空機全体の危険である。機内での武器使用の有無を、機体全体の安全性以上に重視するのは疑問である。本件民航機の場合も、一旦本人の指示で韓国へ向かったが、同国内のどの空港からも着陸の同意を得られず、戦闘機四機に追われ、やむなく本人にさとられないようにして飛行先を変更し、残存燃料で航行可能な福岡空港へ向かったもので、同空港が着陸を受け入れたためにことなきを得たとはいうものの、同空港において韓国同様に着陸の同意を得られなければ、すでに燃料不足で他の空港へ向かうことはできず、同機全体が大きな危険に直面するところだったことを見逃してはならない。また、本人は、天安門事件の関係で中国官憲に逮捕されることを恐れ、陸路での脱出を試みたが、監視が厳しくて目的を達することができなかったために、国外脱出のための最後の手段としてハイジャックを敢行したという。しかし、中国側の関係書類によれば、中国官憲は、当時本人が天安門事件に関与したとは考えていなかったようであり、また、妻の供述からみても、少なくとも同事件による逮捕や処罰が切迫しているとして本人がそれを恐れていた様子はあまり窺えない。仮に、その点を暫くおき、右の危険があり、かつ国外脱出の方法が他に容易に見つからなかったとしても、だからといって、自己の脱出目的達成のためであれば、どのように重大な犯罪手段に訴えることも、逃亡犯罪人引渡法上保護されると考えるのは根拠がない。一般的に考えると、中国の現在の政治体制を嫌い、その政治的圧力を免れるために国外脱出を図ろうとすることは、脱出に際してとられる手段や方法の内容如何によっては、すなわち、とられた手段が目的との間で相当性を保っていると認められるときは、それが仮に違法行為であっても、全体として見ると政治的性質の方がはるかに強いと考えられ、逃亡犯罪人引渡法上保護される場合がないとはいえないであろう。しかし、脱出手段として民間航空機をハイジャックするというような、多数の者に対するきわめて危険性が高く重大な犯罪行為にでるときは、両者間の均衡が余りに失われ過ぎる点からみて、政治犯罪としての保護を受け難くなるのはやむを得ないというべきである(補佐人の意見書中には、本件に類似する外国の先例として、ユーゴスラビアの旅客機の乗務員が他の乗務員を監禁して航空機を乗っ取り、スイスに脱出したカヴィッチ事件について、スイス連邦裁判所が引渡しを拒否した判決が引用されている。補佐人主張の事実関係を前提とした場合には、他の多くの外国の先例の中では本件に比較的類似する事件とみることができる。しかし、右は一九五二年のものであり、ハイジャックが急激に増加した一九六〇年代後半を基準としてみると、それより遙か以前の異なった社会事情のもとでなされた判断である。国際社会では、その後のハイジャック事犯の異常な増加に対処するため、一九六三年の東京条約、一九七〇年のヘーグ条約、一九七一年のモントリオール条約等、次々と航空機の安全確保を目的とする条約が締結されており、政治犯不引渡しの原則は依然として残されているけれども、ハイジャック事犯に関する限り、国際的協力を強める方向へ向かっていることは否定できないと考えられるのであるから、同判決の基本的な考え方に賛成するか否かは別として、この判決の趣旨が、航空事情に大きな変動があった現時点でどの程度妥当するかは疑問というべきである。スイスは、その後の一九八一年に「国際刑事司法共助に関する連邦法」を制定して、外国への犯罪人引渡しに関する一八九二年制定の連邦法を廃止し、その中に犯罪人引渡しのほか、狭義の司法共助その他を合わせて規定し、同法は一九八三年から施行されることとなったが、その三条二項には、「行為がつぎの各号のいずれかに該当するときは、行為が政治的性格を帯びるものであるという抗弁は認められない。」として、その(b)に、一定の要件を満たす場合の航空機強取行為を掲げている。)。

以上に述べた諸点を総合して考えると、本件犯行の目的が、中国政府側の関係書類にあるとおり、汚職罪という、通常の刑法犯を犯した上でこれによる処罰や不利益を嫌い出国しようとする点にあったときはもちろん、そうではなく、本人の供述どおり、天安門事件の際のデモその他の政治的活動への参加を理由として官憲に逮捕され、処罰を受ける事態を回避する点にあったとしても、そのことによって、本件ハイジャック行為に、逃亡犯罪人引渡法上、一般人乗客・乗務員が受けた被害より以上に保護されるべき利益があるとは考えられない。本件の事実関係を前提とし、良識にしたがって総合的に判断すると、本件は、政治的性質が普通犯罪的性質をはるかにしのぎ、そのために逃亡犯罪人引渡法上保護を要する犯罪であるとは認められない。

一般に、「政治犯罪」であることの立証責任は、通常これを主張する者の側にあるとされているが、これに厳格な立証を求めることは、その者の置かれている立場からみて酷に過ぎることがあると思われる。そこで、その点に適切な配慮をした上で考えても、民間航空機に対するハイジャックという本件犯罪の性質に照らして考えると、本件は、法第二条第一号の「政治犯罪」にはあたらないと考えざるを得ない。

三  引渡し後の別罪による処罰

法第二条第二号は、引渡しの請求が、逃亡犯罪人の犯した政治犯罪について審判し、又は刑罰を執行する目的でなされたものと認められるときは、その逃亡犯罪人を引き渡してはならないと定めている。そこで、つぎに、本件引渡しの請求は、中国刑法第七九条、同第一〇七条によって確定されるハイジャック行為とは別の政治犯罪について審判等するためになされたものと認められるか否かの点を検討しなければならない。

本件において、前記第七九条、同第一〇七条によって確定されるハイジャック行為とは別の政治犯罪による審判として危惧されるのは、同刑法第一〇〇条の反革命目的によるハイジャック罪による処罰、第一一〇条の交通手段破壊罪による処罰及び本人が主張する天安門事件の際のデモ参加その他本件犯行前の行為による処罰の点である。

1  法第二条第二号の「引渡しの請求が、逃亡犯罪人の犯した政治犯罪について審判し、又は刑罰を執行する目的でなされたものと認められるとき」であるか否かの判断は、引渡し請求を外形的に観察するだけでなく、その犯罪の基礎ないし背景にある事情を客観的、実質的に観察、検討してなされるべきであると考えられるところ、本件証拠中、補佐人から当裁判所へ提出された関係証拠、例えば証人Nの証言と陳述録取書、本人の陳述と陳述録取書等によって本件発生の基礎ないし背景にある客観的事情を検討するときは、本件引渡請求は、外形上中国刑法第七九条、同第一〇七条によって確定されるハイジャック罪とされているけれども、これとは別の政治犯罪(もっとも、その内容は明確ではないが)による審判を目的とするものではないかという補佐人の主張にも根拠がないわけではないように見える。

2  しかし、検察官から提出された法務省刑事局付検事三浦守作成の報告書によると、平成二年一月一九日、二〇日の両日、この件に関する中国政府代表団として、同国外交部条約局法律司副司長の許光建、最高人民法院刑事審判庭審判員張耀良、最高人民検察院刑事検察庁逮捕処副処長王高生らが来日し、外務省及び法務省の日本側担当者と協議した席で、中国側が、本人の引渡しを求めるのは航空機のハイジャックという重大な犯罪について、中国の司法手続に従って適正な刑罰を科すためである、その際の適用法令は、ヘーグ条約第一条(a)、刑法第七九条、第一〇七条であり、したがってこれに対する刑罰は懲役三年以上一〇年以下の有期懲役刑の範囲内である、本人が反革命の目的を持っていたとは認められないから無期懲役を含む同国刑法第一〇〇条は適用されず、また重大な結果をもたらしたものではないから死刑を含む第一一〇条も適用されず、したがって死刑適用の余地はなく、本件ハイジャック行為をそれ以外の規定で処罰することも、また、このハイジャック以外の犯罪の捜査を新たに行って刑罰を科すこともない、この点は、ここで明確に保証する、と明確に表明した事実を確認することができる。右の保証は、中国政府から日本政府に対して公式の保証としてなされたものと理解されるところ(外務省アジア局長作成の平成二年三月一六日付け回答書)、その後、当裁判所における審問状況に留意したという中国政府から、わが国の外務省に対して、右の協議経過を踏まえて、重ねて口上書(一九九〇年四月三日付け口上書)をもって、中国側は本件を政治目的によるものと理解せず、また本人が引き渡される前に犯したハイジャック罪以外の罪について、その刑事責任を追及しないことを公式に表明してきた事実がある。右口上書は、それまでの協議経過を含めて見ると、今回のハイジャック行為を中国刑法第一〇〇条、第一一〇条で訴追、処罰せず、また天安門事件による捜査、訴追、処罰をしないことを中国政府として確約するとの趣旨であり、その点に関する中国政府の正式保証と認めるに充分である。そして、請求国が犯罪人引渡しについて右のような保証を正式にしたときは、請求国において、引渡しを受けた犯罪人につき、当該引渡犯罪以外の犯罪事実で処罰することはできないとするのが国際法上の慣行であり、中国政府もそのことを充分承知の上で本件引渡し請求及び前記の保証をしているものと理解されるから、特別の理由がない限り、右は一国から他国に対してなされた責任ある約束として国際慣行上信用すべきが当然である。そして、請求国がこのような保証を正式にしたことは、法第二条第二号の判断にあたっても考慮されるべきであり、むしろその上にたって、その点の確実な履行を注目して見守るのが相当と考えられる(右の席上において、中国側は、本件後帰国した本人の妻子は、同国内において、従来と変わることのない通常の生活を送っている旨を報告しているが、その後の四月五日、中国側から外務省に送付され、同月六日付けで検察官から提出されたビデオテープには、妻子がそれまで住んでいた自宅で一緒に生活し、中央電子台記者のインタビューに元気に答えている様子が撮影されている。)。中国側の右公式保証の事実を含めて考えると、引渡し後の本人に対する処罰は、ヘーグ条約第一条(a)、刑法第七九条、第一〇七条であり、したがってこれに対する刑罰は懲役三年以上一〇年以下の有期懲役刑の範囲内にあり、それ以外には及ばず、補佐人が主張する死刑はもちろん、一〇年を超える刑が適用される余地も全くないことが公式に保証されたこととなるから、本件引渡請求は、引渡犯罪とは別の政治犯罪について審判等するためになされたものと認めることはできず、法第二条第二号にあたる場合とはいえない。

四  逃亡犯罪人引渡しと市民的及び政治的権利に関する国際規約第七条

1  補佐人の意見書中には、わが国が批准している「市民的および政治的権利に関する国際規約」(いわゆる国際人権B規約)第七条は、「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若くは刑罰を受けない。」と定めているから、本人を中国に引き渡した場合に同人が同国において右規約の趣旨に反する扱いを受けることが予見されるときは、わが国としてはこれを中国に引き渡してはならない、また、中国における刑事裁判手続は「公正な裁判を求める国際的な準則」を保障しておらず、本人を同国に引き渡すことは、その過程で非人道的な取扱を受けるおそれが強く、前記国際規約の趣旨に同様に反することとなるから、その点からも本人を中国に引き渡してはならない、労働矯正処分制度の運用に関しても同様のことがいえると主張する点がある。そして、そのような場合の逃亡犯罪人引渡法上の対応措置について、右のような事由は、現行の法第二条各号に掲げられておらず、直接の規定を欠いているが、法の規定は、憲法が条約及び確立された国際法規の誠実な遵守を定めていること及びこれによって尊重されるべきこととなる前記国際規約の内容と抵触しないように解釈、運用されるべきものであるから、その立場からすれば、法第一〇条第一項第二号の「逃亡犯罪人を引き渡すことができない場合」に該当するとの解釈、運用をすべきである、というのである。

国際人権規約が要請するように、人権及び自由の普遍的尊重及び遵守はもとより当然のことであるし、本件においてもこれは当然の前提にしなければならない。そして、本件が、民間航空機に対するハイジャックであるという犯罪の性質上、犯人不引渡しの保護を受けることができないとしても、その結果本人の引渡し先となる中国の人権保護に関する一般的状態が前記人権規約の定める趣旨に反すると予見されるとき、その事態にわが国の逃亡犯罪人引渡法上いかに対応すべきかは、これとは別個に検討されるべき問題である。ハイジャック事犯に対しては一般的に厳しい対応をし、多くの場合に犯人を引き渡すことになるのはやむを得ないとしても、その引渡し先が人権保護に関する一般的状態の良い国であれば問題は比較的少ないけれども、本件では、引渡し先が、たまたま関係証拠上人権保護に関する一般的状態に問題があるとされる中国であるために、そこに困難で、悩みの深い別の問題を生じているという面が強いと考えられるからである。もとより、国際人権規約は、直接には締約国に対してその管轄内における人権の遵守を求めるものであって、当然には締約国が他国に対して条約上の基準を守るよう求めるための手段となることを目的としてはいないし、とくに中国のような非締約国の国内行為を規律する効力を有するものでもない。しかし、本人を引き渡した場合、その引渡し先となる国で国際人権規約の趣旨に反する扱いが生じるかも知れないことを予見しながら同国からの引渡しに応じることは、もとより引渡し行為自体に規約違反の性質はなくても、同規約を批准しているわが国の人権尊重の態度として首尾一貫するかどうかやはり一考を要する点である。

そこで、本人を中国に引き渡した場合に、同国内で国際人権規約の趣旨に反する扱いが生じることが予見されるか否かについてみると、当裁判所へ補佐人側から提出された各種の証拠その他の書類、なかでも公安官憲による捜査手続及び刑事裁判手続の各運用の実情に関する本人の陳述と陳述録取書、証人Nの証言と陳述録取書、Jの陳述録取書等のほか、アムネスティー・インターナショナル刊行の関係資料・ジェローム・コーエン著「天安門事件と法の支配」、「中共中央文件」(雑誌「争鳴」一九八九年一〇月号)、その他右の点に関する中国の実情を伝える多くの資料によれば、中国において、とくに公安関係の犯罪者に対して捜査官憲による行き過ぎた取調べが事実上行われ、刑事裁判手続においても「公正な裁判を求める国際的な準則」が保障されておらず、それらの傾向は特に天安門事件以後顕著であるとされ、したがって、本人をいま同国に引き渡すと、同人に対して国際人権規約の趣旨に反する扱いがなされるおそれが予見されると指摘するものが少なくない。これに対して、中国側の資料中には、右の指摘を理由がないとしてその点に関する本人側の危惧を払拭し、また本人についてそのような事態が生じるおそれがないことを保証するに足りるだけの明確な資料は見あたらない。そうすると、これらの点に未解決の問題が伏在していたままとなっていることは否定できない。

ただ、わが国の逃亡犯罪人引渡法上、引渡しに関する審査は、裁判所及び行政府を代表する法務大臣の両者が分担する制度となっている。冒頭に述べたとおり、本件が法第二条で引き渡すことができないと定められている制限規定のいずれかに該当しないか否かの判断を裁判所がまず行い、つぎに、制限規定には該当しないと判断されたものについて、引き渡すのが相当であるか否か(引き渡すことの可否を含めて)を法務大臣が最終的に審査し、その権限において決定するものと定められているのである(法第一四条第一項)。そして、同法制定の当初から、裁判所が判断すべき法第一〇条第一項第二号にいう「逃亡犯罪人を引き渡すことができない場合」とは、同法の文理上、引渡しの請求が引渡条約に基づかないものである場合には、もっぱら法第二条各号に該当する場合を指すと解釈され、引渡しの当否に影響するその他の事由、例えば当該犯罪がわが国において裁判権を行使しうるものである場合にこれを行使しないことが相当であるかどうか、当該犯罪の性質が政治犯罪にあたらないとしてもこれに準ずるような性質のものでないかどうか、わが国と請求国とで法的評価が極端に異なるものでないかどうか、逃亡犯罪人にかかる請求国の刑事手続が特に人権保障に欠けるものでないかどうか等の点についての判断は、法務大臣の審査・決定事項とされてきたのである。それは、将来の事実の予測を内容とすることであるから、証拠による司法的認定に適さず、むしろ行政的判断に適していると考えられたためであろう(人権条約によって設置されている人権裁判所などとは、設置の趣旨も、権限の範囲、性質も異なっているから、同じに考えることはできない。)。補佐人が指摘する前記の諸点は、将来の事実の予測に掛かる点でこれらと同質の問題と考えられる。当裁判所がその点の審理に深入りしなかった理由の一つはその点にもあり、さきに述べた審査手続における判断権限の分担の枠組みを個々の事案によって動かすことはできないと考えたためである。補佐人の意見中に、中国では捜査、裁判に付随して人権侵害の事実があるとの主張があるからといって、それを法制上認めているわけでもない相手国内の実情調査をこの手続内ですべきものとは考え難い。したがって、本件の犯人を、人権保護に関する一般的事実状態に問題があり、国際人権規約の定める趣旨に反する扱いがされるかも知れないとの疑いが解消されない国へ引き渡すことが、同規約を批准しているわが国の態度として相当であるか否かの点について、当裁判所は直接判断したり触れたりするものではないが、なお事柄の重要性に鑑み、当裁判所の審理に現れたかぎりでこれを指摘し、その点の慎重な審査・決定は、法の定める手続きによって処理されるべきものと考える。

2  補佐人の意見書中には、本件は、本人が被請求国であるわが国で処罰を受ければ、法定刑上、死刑になることはないのに、請求国である中国に引き渡された場合には死刑に処せられる可能性があり、さらに、同国では死刑適用の過程で非人道的な取扱いがされる可能性がある、だから本人を中国へ引き渡すことは国際人権B規約第七条違反である、と主張する点がある。

しかし、本人を請求国である中国に引き渡した後、同国で本人に適用される刑罰法令は、ヘーグ条約第一条(a)、中国刑法第七九条、第一〇七条であり、その場合の法定刑は、右第一〇七条に規定されている「三年以上一〇年以下の有期懲役」であり、それ以外にはないと認められる。その点についてはさきに述べたとおりである。すなわち、中国政府は、日本政府に対し、代表団を通じての公式表明のほか、重ねて口上書を提出して、本件ハイジャックについて、右以外の規定、例えば、反革命目的による飛行機の乗っ取りその他を処罰する同法第一〇〇条(同条の最高刑は無期懲役であるが、同第一〇三条で、危害が特に重大で、情状が特に悪質な者は死刑に処することができるとされている。)、交通手段その他を破壊し、重大な結果をもたらした場合を処罰する第一一〇条(同条の最高刑は死刑)等で訴追しあるいは処罰することはない、またそれ以前の行為について捜査を行って訴追しあるいは処罰することもないことを確約し、正式に保証している。これが一国から他国に対して公式になされた責任ある約束として国際信義上信用すべきものと考えられること等についてもさきに述べたとおりである。そうすると、引渡し後本人に対して適用される刑は、三年以上一〇年以下の有期懲役刑のほかには考えられないのであって、補佐人が主張する死刑はもちろん、一〇年を超える刑が適用される余地も全くないと認められる。中国側が、わが国に対して公式にした約束の誠実な履行を疑問であるとする特別な理由はないから、これを前提として判断すべく、これを信用できないとし、死刑の適用を前提としてこれに伴う引渡しの当否を論ずるのは適当ではない。

五  逃亡犯罪人引渡しと難民の地位に関する条約第三三条第一項

補佐人の意見書中には、わが国は「難民の地位に関する条約」、「難民の地位に関する議定書」(以下、双方を含めて単に難民条約という。)に加入しているが、本人は、中国政府による迫害を受けることについて充分に根拠のある恐れがあるために国外脱出を図ったもので、同条約にいう難民に該当する、中国脱出の際のハイジャック行為は政治的犯罪であり、かつ、重大な犯罪に該当すると考える相当な理由はない、したがって、難民である本人を迫害のおそれがある中国に引き渡すことは、難民条約に違反するから、右は逃亡犯罪人引渡法上は同法第一〇条第一項第二号にいう「逃亡犯罪人を引き渡すことができない場合」に該当すると考えるべきである、と主張する点がある。

難民問題の社会的及び人道的性格を認識すれば、難民条約による庇護の精神を尊重しなければならないことはもとより当然であるが、国際社会の現状に徴すると、問題の解決をこれに期待するにも限度があることを遺憾ながら否定できない。ところで、難民の範囲についてはいまだ国際社会に共通の定義があるわけではなく、各条約や国際機関の関係組織規定にそれぞれの定義規定があるに過ぎないが、その中で難民条約は、同条約上難民と規定されているものに関して、締約国は、<1>不法入国したか否かを問わず、締約国の領域内にいる難民を、原則として、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命または自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならないという、いわゆるノン・ルフルールマンの原則を中核として(同条約第三三条)、<2>締約国の領域に合法的にいる難民を、国の安全又は公の秩序を理由とする場合を除くほか、追放してはならないこと(同第三二条)、<3>合法的に滞在する難民に対しては、各種の権利が与えられること等を規定している。それによれば、難民条約は、締約国の国内に、特に合法的にいる難民に対して相当に手厚い保護措置を定めているといえるが、それにもかかわらず難民の入国、滞在を認めるか否かについては何等の規定もおいておらず、その点は伝統的な国家主権の発動としての庇護権の行使に委ねられている。それによれば、本国において、なんらかの理由で官憲の追及を受け、他国の領域に逃れた者が、その国に庇護を求めた場合にも、その国としては、条約によってその者を本国に引き渡すことを命じられ、あるいはその国の国内法によって庇護を与えることを命じられていない限り、その者に庇護を与えることとしても、また、庇護を与えないこととしても、国際法に抵触することはないとされているのである。しかも、難民条約によって右のとおり保護されるべき難民の範囲に関連して、同条約第一条F項(b)は、「難民として避難国に入国することが許可される前に避難国の外で重大な犯罪(政治犯罪を除く。)を行った」と考えられる相当な理由がある者については同条約を適用しないことを定めている。右条項に該当する場合には、難民条約による先述した程度の保護も受けられないこととされているのである。したがって、本件について同条約の適用による保護及びこれに合致するような逃亡犯罪人引渡法の解釈を主張するためには、その前提として、まず、本件が同条約の右条項にいう「重大な犯罪(政治犯罪を除く。)を行った」と考えられる相当な理由がある場合に該当していないことが必要であるとしなければならない。ところが、その点を本件について見ると、本件は、民間航空機に対するハイジャック事犯であって、重大な犯罪と考えられるべきものであり、かつ、政治犯罪にあたらないと考えられることはさきに説明したとおりである。そうすると、本件は、同条約の右条項に該当し、同条約の適用を受け得ない場合であると認めるほかないから、同条約の適用があることを前提として、本件は法第一〇条第一項第二号によって「引き渡すことができない場合」に該当すると主張するのはあたらない。

六  結論

航空機による国際間の往来がますます大衆化して身近なものとなり、ハイジャックの影響が国際社会の重大関心事とならざるを得ないこの時代には、民間航空機に対するハイジャックの危険性から一般乗客や乗務員の安全を確保するため、各国が協力して、有効な方策を実施することの必要性がますます強くなっているといえる。一九六〇年代後半以降ハイジャックの発生件数が飛躍的に増加し、飛行機機材の大型化とあいまって、これによる被害が国際的に拡大しかつ深刻化している傾向に鑑みるとなおさらであって、発生件数がそれほど多くなかった当時の各国の裁判例を前提とし、これと同様に考えるのは必ずしも適当ではない。むしろ、民間航空機に対するハイジャックについては、その犯罪の性質に鑑み、「政治犯罪」の認定についてもこれを充分吟味して行うよう国際間に共通の理解と合意を広めることが、効果的な防止方策の一つとして必要であると考えられる。本件が、仮に天安門事件との関係があるとすれば、同事件の性質に鑑み、本人に対する人道上あるいは人権上の問題も、もとより重視しなければならないが、同時に、そのことのために将来にわたって他の一般市民の航行の安全やこれに伴う人権を結局において軽視することにならないだけの配慮が不可欠であることも忘れてはならない。民間航空機に対するハイジャック防止の観点を緩めることなく、本人の個別的人権救済の道を模索する以外に適切な解決の方法は見いだせないと考えられる。

七  その他、本件請求が、条約及び法に規定する引渡しを制限する事由に該当する事情も認められない。

よって、本件は逃亡犯罪人を引き渡すことができる場合に該当すると認められるので、法第一〇条第一項第三号により、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 船田三雄 裁判官 松本時夫 裁判官 秋山規雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例